My Story ~私と労働組合(17)~ 労働声をあげることで 組合で「生きる力」を取り戻した

このまま事故に遭えば出勤しなくて済む

2年前に保健師として大阪府へ入庁しました。それからは朝出勤して、昼ごはんを食べられるのは夜7時過ぎ、退勤は早くて終電、週末は翌日の始発で帰ることもありました。「壊れるまで働かされるんだ」と毎日が恐怖でした。こんな状況が3年間続きました。

この話をすると「辞めればよかったのに」と言われることがありますが、辞めるということは私以上に頑張っている先輩方の仕事を増やすだけだと思いできませんでした。先輩や上司は「少しでも多くの人を救いたい」と、自分を犠牲にしながら働いていました。

それに辞めるにも気力が必要です。毎朝起きて仕事に行くことに必死で、辞めるための少しの力も残っていませんでした。「このまま事故に遭えば出勤しなくてすむ」「線路に落ちてしまおうか」「家のベランダから飛び降りたら仕事に行かなくて済む」。何度もそう思いながら、実際に行動に出てしまったこともありました。多分私だけではありません。あの時、保健師として働いていた方には少なからず共通することがあるのではないでしょうか。

「しんどい、つらい、助けて」と言えた

そんなときに府職労の先輩に声をかけられ「いのち守る33キャンペーン」の署名提出アクションに参加しました。職場では弱音を吐けず、家に帰って死んだように眠り、また出勤するの繰り返しでしたので「しんどい、つらい、助けて」という思いを吐き出すこともできていませんでした。「誰にも聞いてもらえなくても構わない、とりあえずつらい、しんどいって言いたい」そう思って参加しました。

参加して驚いたのは私の話を涙して聞いてくれる国会議員や全国の労働組合の仲間の人がいたことです。「しんどかったなぁ」「つらかったなぁ」と、たくさんの言葉をかけてもらいました。みんな同じようにしんどい思いをしているのだから、つらいと言ってはいけないと思っていた私にとって衝撃でした。

また、同じように苦しむ人の話もたくさん聞きました。ライフスタイルや立場、職場が変わればつらい経験の内容も変わりますが、しんどい思いをしているのは、私だけではない、大阪府だけではないと心から思いました。

その後も同じ職場のチームや他部署の組合員の方にも「つらかったね、一緒に頑張ってくれてありがとうね」と声をかけていただくこともあり、気にかけてもらえたことがうれしくて、何度か職場で泣きそうになりました。

「守られる側」から「守る側」になりたい

「私は使い捨てなんだ」そう思いながら働いていた気持ちが、少しずつ消え、一人の人間として大切にされていると感じました。

今も大阪府で保健師を続けられているのは、府職労や組合員のみなさんのおかげと、心から感謝しています。

今までは守られる側でしたが、私と同じように孤独やつらさを抱えている職員の力になりたい、私も守る側になりたいと思い、府職労の活動に参加しています。

自分の職場や職種以外のつながりが増え、府職労が具体的にどのような活動をしているのか、加入しているだけではわからないことを知る機会も増えました。働くうえでの問題はコロナに限ったものだけではない、解決しないといけない課題はたくさんあると感じています。そして、あわせて感じるようになったのは、若い組合員の少なさです。

長期的に労働環境のことを考えてほしい

「親から組合には入るなって言われた」「給料が少ないので組合費を払う余裕がない」。そう言われることが多いです。自分たちの労働環境を良くできるのは、労働組合が活動しているからなのに、コロナ禍でもこれだけ尽力してくれたのに、どうしてうまく理解してもらえないのか。どうしてもう少し長期的に自分たちの労働環境、職場環境のことに目を向けて考えられないのか。そんなじれったい思いです。

でも、組合に入っていない人へ根気強く働きかけながら、若手組合員が「入ってよかった」「労働環境が変わって満足できた」「これからも大阪府で仕事を続けたい」そんな気持ちになれるようにしたいと思っています。

府職労や若手メンバーの仲間は一人一人の気持ちを大切にする素敵な人ばかりです。そんなみなさんともっともっと声をあげて変えていきたい、そしてみんなに希望を与えていきたいと思っています。

 

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