組合役員となり多くの知り合い、様々な見識を深める
私と労働組合との関わりは、入庁当時にまで遡ることになる。入庁とともに今は無き独身寮に入寮した数日後、知り合いのいない私の部屋を訪ねてくる人がいた。ドアを開けると、そこにはN氏のほか数人の青年部役員がおり、その場で組合加入の勧誘をされた。
当時の私には労働組合というものに対する知識もなく、若干面倒くさかったこともあり、新聞の購読などと同じような感覚で、とりあえず加入することにした。その後、特に何もなく数年が過ぎたある日、ドアの前にいたN氏や当時の職場の先輩だったH氏など数人の青年部役員が職場を訪れ、青年部の役員をしてほしいと頼まれた。学生時代の経験上、役員ごとは大変だし責任もついてくることは分かっていたものの、先輩の顔もあるしなぁ…などと葛藤する中で、ここでもとりあえず引き受けることにした。
そこから役員という責任感のもと組合活動に携わるようになり、気がつけば今に至っているのだが、活動を通じて、府庁内外問わず様々な年代層の多くの人々と知り合い、様々な見識を深め、団体交渉等に参加していく中で、労働組合だからできることや必要性について徐々に感じていくようになっていった。
特別休暇などの改悪を労働組合が撤回させてきた
そんな中、橋下府政の誕生により、労働組合を取り巻く状況が大きく変わることになった。新たに制定された条例により、それまで当たり前のように行ってきた活動にも制限がかかるようになった。「民間ではありえない」などというフレーズのもと、府政全般に渡って様々な制度が変革されていき、その中には特別休暇など働くために設けられた制度についても改廃しようと次々と提案され、その後の交渉を経て廃止を撤回させたものもあった。
当時、府庁内全般として〝ものを言えない雰囲気〟が蔓延する中、声をあげて意見を言い交渉ができるのは労働組合しかなく、組織の存在そのものが必要不可欠であることを再認識することになった。
とはいえ、職員数が条例に基づき減らされていく中で、比例するように組合員や組合役員を担う人も少なくなってきている。以前のような組合の活動スタイルを継承することが限界となる中、「より多くの人が参加する(できる)」活動を模索し続ける中で、コロナ禍となった外的要因もあり、現在のオンラインでの取り組みなど参加しやすい活動スタイルが定着してきた。
ちょっとしたことでも組合活動に関心を
役員それぞれの家庭環境がある中、週末の合わせやすい時間帯にWEB会議にて会議を行うなど、それぞれの負担を少なくする工夫だけでなく、これまでの組合としての常識化してきたものを見つめ直すことで、以前と比べても活気のある組織になってきたのではないかと思う。
こういった流れが、役員から組合員にも広がるためにも、ちょっとしたことでも組合活動に関心を持ってもらえ、どういった形であれ少しでも関わりを持ってもらえる人が増えてくれればと、切に願うところである。
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